ふんわりと生きてみること

私にとって、ふんわりと生きるということは「可能な限り力を抜いて」日々を過ごすこと。

もともと私は常識的な振る舞いをすることに多大なリソースを必要としており、「普通」を装うだけで疲れてしまいます。なぜ私はいつも疲れているのだろうかと疑問に思いながら50年間を過ごしていました。なかなか社会に馴染めずいつも孤立してしまう、そんな自分が嫌で嫌で鬱にまで発展してしまう有様だったのです。

もちろん、今でもつい力が入ってしまって疲れてしまったりしますが、50という年齢のことも考えると心身の不調は致し方ないと半ば良い意味で諦め、あまり自分を責めないようにしています。

ふんわりと生きることは簡単なようで難しいので、ある程度精神状態が落ち着いている状態で意識してみることをおすすめしたいと思います。特に今の状態が鬱まっしぐらだとしたら、その状態はいわば「脳のエラー」です。エラーが起こっている状態で「全てをふんわり受け止めなさい」というコマンドを打ったとしてもエラーが返ってくるだけだからです。ネガティブになっている状態の時にポジティブな言葉がけは理想と現実の乖離が大きく生じますからね。

私自身、幾分かゆるくふわ〜っと生きてみることに関してはまだまだ不安な面もありますが、それでも良いと判断しています。どうしても頭と体が言うことを聞かない時は頓服薬を飲んで睡眠時間を増やすようにし、そして、心理的に少しでも余裕のある時は精神を整えるために絵を描いてみたりしてちょっとした達成感を楽しんだり、美味しいコーヒーを淹れてみたり、小さなスペースを掃除してみたり、ドリフターズの動画をみたり癒されると思う動画をみたりしてやり過ごしています。

よく、辛くなった時の「寝逃げ」と言う言葉がありますが、寝逃げは決して「逃げ」ではなく、脳をデフラグ(最適化)するための必要な時間だと思っています。人間には睡眠時間は必ず必要です。寝ることに関してネガティブなイメージを持たないことも大切です。

心が極端に疲れていると、時折眠れなくなったりする時もあるかもしれません。

私自身「寝なくてはならない」と言う脅迫観念が襲ってきた時には、主治医の言葉を思い出すようにしています。

その言葉とは

「2〜3日起きていたら自然と眠くなるから大丈夫」

です。

寝ることに執着しない生活も時には必要で、私は睡眠導入剤を飲んでも眠れない時は明るい意味で諦めて起きて映画やドラマをみたり、文章を描いてみたり、その時に打ち込みたい何かに集中してやり過ごし、眠くなったら寝る、を繰り返しています。一晩徹夜すると大抵3日ほどはダメージが残りますが、「眠れない」「寝なければいけない」といつも悶々と考えているより遥かに楽だと感じています。

規則正しい生活を送ることは精神面において非常に大切なのは百も承知ですが、お薬を用いても眠れない時はいっそのこと起きて集中できる何かに打ち込んでみるのも悪くないと思っています。もう若くないので、徹夜した後は2〜3日は本当に怠くて仕方ありませんが、逆を言えば怠くて仕方ないので余計なことを考えずに済んでいるとも言えますね。

ゆるっとふんわり生きることは、「曖昧さ」を学ぶ良い機会です。

私は白黒思考で生きてきました。

でも、世の中にはその中間色の灰色もあることにようやく気づき、少しずつその灰色の世界を受け入れている最中です。

ふんわりと生きることは曖昧さを受け入れ、クラゲのようにただ漂ってみる生き方と捉えても良いと思います。

漂って生きることは、沈まないことと同義です。

曖昧さを知ったことで、「とても苦しい鬱状態」から「なんだか鬱っぽい」程度には沈まなくなりました。

偉そうにこんなことを書いていますが、いつどこで心理的にどん底に落ちるか私にもわかりません。どん底に落ちたら、その時はその時です。先のことを考えて不安になるより、今この時間に集中する方が遥かに楽に生きれるのではと感じています。

先のことは誰にもわからないですからね。

なんだか私もここまで書いてきて疲れてきたので、ここまでにしておきます。

少しずつ、個人的に楽な生き方を模索しているので、またネタが出来たらアップしようと思っております。

では、また後ほど!

西洋占星術を勉強し始めてから自分の本質を知ってから急激に自分自身の癒しが始まりました。星座と月を紡ぐ時間は私にとって心から楽しい時間であり創作活動にインスピレーションを与えてくれています♪

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